「生」への執着

子供の居る現在の自分と、以前の自分について考えた時、決定的な違いがあるのに最近気がついた。




それは「生」への執着心が芽生えた事だ。今の私は、家族を失う恐怖とともに、自分が死ぬことに対して強烈な恐怖心を感じてどうしようもないのだ。これは以前の私には無かったことだ。

冗談抜きに昔は死ぬことが恐くなかった。もし、飛行機がハイジャックされて、乗客全員が危険にさらされる事になったとしたら、私はそのハイジャック犯に対して、私一人を人質にすることを条件に、他の乗客を解放しろ、と提案していたと思う。これは本気だった。他の多くの人達が助かるならば、喜んで自分の命でも使ってもらおう、とそう思っていた。

しかし、今は違う。

なんてバカな事を考えていたんだろうと思ってしまうのだ。

それは子供がいるからだ。ダンナがいるから、ではないのだ。

ダンナは私が死んでも、1週間で忘れて若い女性相手に「女房が死んで淋しいのサ」とかいって口説いているだろう(笑)と想像できるが、子供達に対してはそう思えないのだ。今、この子達からママをとったらどうなるだろうか、と想像しただけで涙がこぼれて止まらないのだ。親は無くても子は育つ。でも淋しい思いをするのは必至だ。可愛い子供達にそんな目にあわせたくない、そういう気持ちから死ぬのが恐くなったのである。

今の私は、人から後ろ指をさされようとも生き残りたいのだ。

飛行機でハイジャックされたら、隣りに座っているビジネスマンを指して「この人が人質になるってー」とかいって自分だけは助かりたい、そこまで思いつめている。

子供にとってみれば「お母さんは人のために立派に死んだよ」と言われて母を失うことより、「あんたのママってサイテーやな」と言われても生きている方がいいと思うのだ。そして、自分の子供を持ってみて初めて、「親に先立つ不孝者」という言葉がリアリティを持って理解できる様になったのである。
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