母親は、愛情を均等化しようとする

長女の妊娠中の事だった。


私達夫婦はお腹の子供に男の子の名前をつけ可愛がっていた。ところが、ある日、私は「◯◯ちゃん」という女の子の名前を呼び出したのだ。ダンナは「男と女どっちでもいい」と言いながらも「男の子が欲しい」という気持ちがありありと感じられたからなのだった。

私としても本音は「性別はどちらでもいいけど、ダンナが男が欲しいというなら、男の子がいいかな」と思っていたのだ。

しかし生まれてくる子供が「女の子」だったとしたら、子供自身が父親にも母親にも「望まれない性別」だと知ったらあまりにも可哀想だ、という気持ちからだったのだ。また子供へのネガティブな評価は、そのまま自分への否定的な評価に繋がってしまうのだ。

女のカンなのかもしれないが、それ以来「私は女の子が欲しい!」と公言する様になった。そして6ケ月の時だったか、判定が「女」と出てダンナの顔色がサッと変化するのを見て「ああ、女の子がいいと、公言しておいて良かった」と思ったのである。

二人目の妊娠の時には、もっと大変だった。ダンナが「次も女だったら、俺ショックだ!」などと公言しだしたのだ。そしてそれはダンナだけでは無かったのである。

どこに行っても、長女が女だとわかると「次は男の子がいいわね」などと言われる様になったのである。これは何も「跡継ぎの男の子」という意味ではなく、最初が女の子だったら次は男の子(つまり上の子と違う性の子供)という単純な理由からなのだが、私としては心中穏やかではなかった。

こうなると、母親としては「絶対、女の子が欲しい」と言うしかないのである。

子供の性別がわからない以上、子供が受けるであろうダメージを何とか最小限に食い止めたいと思うのである。

そして子供が二人になり、来客の話の中心が長男の時、私は無意識に長女を抱っこしている。長女がお客さんの注目を引いている時、長男は私の腕の中なのだ。帰宅してきたダンナに「あ、パパだ!」と擦り寄る長女。長男はママ追い最盛期で泣いてばかりいる。どちらがダンナの気を引くか、なんて自明の理だ。そして私はダンナが家にいる間は長男をずっと抱っこし続ける事になるのだ。

母親というのは、どうも分の悪い方の子供に肩入れする傾向がある。

それはきっと本能的に、愛情を均等化しようとしているのではないか、と思ったりする。これが「母性」なのかもしれない。
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