リーダー(本の音読)

オーストラリアの教育は、それぞれの子供たちの個性を尊重している、とよく言われるのだが、それがどうやって実現できるのか、日本の教育を受けてきた私にとっては、一番興味のある部分であった。




まず最初に驚いたのは、うちの長男と長女が、コンバインドクラス(違う学年の子供たちを一緒のクラスにする)に入ったことだった。最初のうちは気がつかなかったのだが、クラスの名前を表す数字、例えば長男は1/2Aで、長女は3/4Tというクラスの意味がよくわからなかった。後になって、それが学年を意味するのだとわかり、当時1年生だった長男は2年生と合同のクラスに、長女は4年生と合同のクラスに入っていたことになる。

そこで思ったのは、算数はどうやっているのだろうか、ということだった。そろそろ学校にも慣れてきたかな、と思ったある日、長男が英語で掛け算をとなえているのを聞いて驚いた。日本では小学校1年生で九九はやらない。なのに、彼は、2×12=24、なんてのを英語で言っているのだ!じょ、冗談じゃないわよー、のんびりとオーストラリアでチンタラやればいいわ、と思ったにもかかわらず、ここに来て、一年生の長男に九九のフォローをやらなきゃいけないのぉー?

頭の中がパニックになりそうになったその日、今度は長女が持ち帰って来た宿題に、今度は頭が爆発しそうになった。算数。しかも、全てが文章題。もちろん、英語。私は今までの人生で一度もお目にかかったことのない様な英単語を前にして、これを長女がやるのは不可能だと思った。

誰よー、算数は日本が一番進んでて、海外でたら皆、優等生よー、なんて言ったのはー!!!

しかし、長男の先生は私に告げた。貴方の子供はインテリジェントだ。どんどん与えればどんどん吸収する。だから、私は彼にどんどんと課題を与えているのだと。

それを聞いて、私はちょっと待って、と思ったのだ。私は、うちの子には無理な勉強をさせようと思っていない。好奇心は育てたい。でも上からこれをやりなさいと押し付けられて、それはどうかと思ったのだ。そして、それは算数だけではなかった。

オーストラリアの小学校の子供たちは、毎日「リーダー」と呼ばれる宿題の本を持ち帰る。プレップの時から始まり、最初はママさんに読んでもらっているのだが、そのうちに自分で読む様になる。その持ち帰る本は、その子の読む力によってレベルが違う。長女の個人面談の時に先生に、平均的な4年生の読むリーダーのレベルを聞いたところ、先生は「トップクラスの子供は、これを読んでいる。多くの子供は、このあたりのレベルの本を読んでいる」と教えてくださった。トップの子と平均の子には、ものすごい差があった。本の厚さも全く違った。

リーダーの宿題のやり方はこうだ。フォルダに本のリストが貼り付けてあって、そのリストに書かれてある本の何冊か(通常は、1~3冊)を持ち帰る。毎日読む度に、家庭でママさんがそのリストにチェックを入れていく。各レベルの本を順次読んでいくのだが、時々先生と一緒に読んで、先生が本の内容について質問をして、子供がそれに答えていくと、先生が「この子はこのレベルをクリアした」と確認したところで、次のレベルのリーダーが渡されていくのだ。

教育熱心な先生にあたってしまった長男のリーダーは、私が思わず同情してしまうほど大変なものであった。毎日の様に4冊くらいの本がどんどん渡されていく。彼は疑うことも知らず、それを毎日毎日読み続けていった。そんなある日、他のクラスの先生が私にこう告げた。「長男くん、すっごいがんばっているのよ。担任の先生に聞いてみなさい」と。それを聞いて私は、そんなにがんばらせてどうするのだ、と少々懐疑的になっていった。先生の期待は嬉しいが、彼はそれに応えるのに素直すぎる。

ほどなく彼のリーダーのレベルがどんどん上がって行った。各レベルも、数冊読めば2段飛ばしで次のレベルに移る、という様になってしまった。実は、彼は学校で一言も英語で話そうとしないらしい。長女も次男も友達とそれなりに話をしている様なのに。しかしそんな長男だが、リーディング能力だけは、どんどん伸びて行ってしまった。

それを見て、私は色々と考えた。

私の手の内にいれば、長男はのんびりと出来たかもしれない。でも未だに本もろくに読めずにいただろう。多少彼は背伸びをしていたかもしれない。しかしこの子はそれに応えると見抜いた先生の眼力に、私は感謝しなければならないと思った。私では見抜けなかった。少なくとも、今では私は彼のリーダーのお守りをすることはなくなった。彼が毎日自分でどんどん読める様になったからだ。

長男の担任の先生は、例えば彼が読むことに興味も覚えず、習得に時間がかかりそうだと思えば、それはそれでゆっくりとした時間を与えてくれただろうと思う。しかし能力があると思った子供は、その旬の時期にどんどんと与えましょうという考え方を知って、あぁこれが日本の教育に欠けている部分なのだな、と思ったのだ。

落ちこぼれがいないのは結構だが、やる気のある子をどんどん伸ばそう、そういう発想を、日本の学校で感じたことは一度もなかった。
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