オーストラリアの教育を検証する(1)―落下傘を作ろう!

オーストラリアの教育について、色々とエッセイを書きたいと思い続けていたが、それも叶わずの2年半だった。

子供たちのこちらでの学校が始まるまでの間、オーストラリアの教育に関して感じたことを、少しずつ記録しておこうと思う。

私自身の経験と、子供の学校での状況を見ていて、

社会に出て自立的に働く大人となるために必要なスキルを身につける

という点において、オーストラリアの教育の方が、日本の教育よりも格段に上だというのが私の考えである。

もちろん、日本の教育にも、システム的に良いものは沢山あって、それを一つ一つ天秤にかけるつもりなど毛頭ない。またこの教育というものは、狭義の「学校教育」だけを指すことができないという点も、私が強調したいことなのだ。つまり社会全体から受け取る子供たちへの無言のメッセージや、経済活動の格好のターゲットにされる度合いだとか、平均的な親御さんから受ける子供たちへの期待の質の違いだとか、そういう「子供をとりまくあらゆる環境」を、「子供を育てるための教育環境」と定義した場合、オーストラリアの方が、自ら考えて行動して、しかも自分自身をハッピーに生かす人間として成長することができるのではないかと思うのだ。

と、漫然としたことを書いていても仕方がないので、これから何回かに分けて、オーストラリアと日本の教育の違いに関するエピソードを紹介しようと思う。そのエピソードの中から「何だか遊んでいるだけで、本当に勉強してるんだか何だか」と批判されることの多いオーストラリアの教育について、その根本思想を嗅ぎ取って頂ければと思う。

長女がメルベンの学校に転校してしばらくたった頃、学校で落下傘を作ることになったらしい。彼女は日本の小学校で作ったことがあると言ったところ、明日はクラス内で長女に作り方を教えてもらおうということになった。

さて、ここで日本で落下傘を作るということになったとしよう。

低学年なので、多分その1週間くらい前に、教材費のお知らせなどが届いて、タコ糸、ビニール袋、重石など、一括購入致しますので、いついつまでにお金を持たせてください、となるか、または当日に、何センチ程度のタコ糸、これくらいの大きさのゴミ袋1枚、重石のための粘土とフィルムケース1個を持ってくる様に、連絡帳に書かせているだろう。

さて、オーストラリアではどうするか。

先生は「明日落下傘を作りますので、各自必要なものを考えて持ってくる様に」としか言われなかったらしい。その結果、子供達は何を持ってきたかというと、それぞれ色々な大きさ、色々な素材を持ち込んできたというのだ。巨大なシートを持ってきた子、毛糸、ロープ、重石にぬいぐるみ(長女が爆笑していたのは、トイストーリー1に出てくる落下傘で落ちてくる役柄だったソルジャーのおもちゃを持って来た子がいて、そのセンスに皆、大喜び!)などなど、それはそれはバラエティに富んでいたらしい。で、それだけだったら、ただのお遊びなのだが、ここからがすごい。

大きなシートを持ってきてしまった子は、それを地上から落とすのが困難で、距離が必要と判断、3階から落としてみたり、大きな重石を持ってきてしまった子は、そのために大きなビニールが必要だとわかり、みんなで大きな落下傘を作ってみたり、長さを調節、素材を変更、もう考えられる限りの工夫を凝らして、何とかゆっくりと落ちる落下傘を作ろうと必死だったそうだ。

それだけではない。

家の中の素材を持ち出すために、親と交渉しなければならなかった子たちも何人かいて、その交渉がどれほど大変だったか、という話も出たらしい。

このエピソードを長女が面白おかしく話すのを聞いていて、私の方は「ははーっ」とうなってしまったのだ。これを読んでいる日本の方達は、ちょっと焦った方が良いかも(笑)。

日本の子供たちが、当然の様に思考停止させて、単なる教科学習、この学習のねらいはこれだから、これさえ理解しておけば大丈夫、と思っている時に、オーストラリアの子供たちは、朝から晩まで地頭を鍛えられているのだ。

日本の学校で、1年に1回のプロジェクト学習などといった、そういう頻度ではなく、いついかなる時でも、どんな教科でも、物事の処理能力が試されている。また、オーストラリアの宿題は「明日までにこれをやっておきなさい」なんて簡単なものではない。ほとんどの宿題はプロジェクト形式で、大きな提出日だけ決まっていて、あとは自分で時間配分して、自分自身で同時進行のプロジェクトを整理していかなければならない。それが、日々の課題なのだ。

要するにオーストラリアでの子供たちのやっていることは、自分達の与えられた、または自分で設定した課題に対して、どの様な手順で、どの様な時間配分で、どの様な資料にあたり、どの程度の力加減でとりくめば良いのか、そういうものを含めた「生きた=社会人になった時に活きる」学習なのである。

私自身がエンジニアとして、要するにサラリーマンとして働いた経験からすると、与えられた課題をきちんとこなすことは、社会人として最低限必要なスキルである。だから日本の学校教育では、ここが重要視されるのであろう。

しかし、実際の仕事の現場を考えてみると、まさかワークブックを日々消化するだけの仕事なんてあるはずもなく、どんな知識、技術、資料が必要かを瞬時に嗅ぎ分け、時間と力配分を考えつつ、自分の仕事を整理することが、実際の仕事においては必要なスキルである。

また「トイストーリーのソルジャー」を持っていくという様なセンスは、与えられた課題のみならず、こういうことをすればお客様により喜んで頂けるんじゃないか、という様な付加価値を生み出す可能性を秘めている。

何よりどんな仕事でも楽しくやろうじゃないか、というメッセージを、子供たちは常に受け取っているのだ。

そう、人生は楽しい、と。

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