香港アマさん考

子供たちの学校が始まってから、私は色々な人と話をするチャンスに恵まれた。

同じ様にスクールバスを待つ人達。その多くはアマと呼ばれるお手伝いさんである。もちろん「アマさんを雇い入れる側」の人達(つまり駐在員婦人)と話をすることも多い(といっても私以外に日本人は居ない)。私たちは同じ時間同じ場所で子供を待つ立場にあって、彼女たちと交わすちょっとした会話を、私は毎日楽しみにしていた。

日本人からは「アマさん」と呼ばれる人たちのことを、香港人が英語で指すと必ず「maid」と言うし、英語圏の人達は必ず「helper」と呼ぶ。うちのアパートの掲示板には必ず「servant」というショッキングな表現が使われている。個人的にはヘルパーというのが日本的な「お手伝いさん」という感覚に近く、私も英語を話す人には必ず「ヘルパー」と呼ぶことにしている。ちなみに当然のことながら我が家にヘルパーは居ない。

ヘルパーというと裕福な家庭で働くお手伝いさんをイメージするのだが、香港のそれは、完全に社会システムの中に組み込まれた存在なのである。日本ではダブルインカムの子育て家庭を支えるシステムとして、保育園や学童保育、江戸川区では保育ママさんなど、そういうものが存在するのであるが、ここ香港には、そういったものはほとんどない。これらの全ての代替を、安い海外からの労働力に頼っているのである。それでこの香港は回っているのである。だから、所得の大小に関わらず、ヘルパーを雇い入れるというのは、あまりにもありふれた光景なのである。

働き盛りの家庭だけではない。リタイヤした老夫婦家庭や何らかの障害を持つ人の家庭で働くヘルパーも多く存在する。彼女たちは、老夫婦のショッピングにつきあったりするのであるが、バスから降りるときも、見ているこちらの目頭が熱くなるほど、優しくエスコートしているのをよく見かける。実の娘でもしてくれないかもしれない。暖かく身体を支えてくれて、思いっきりの笑顔で楽しい話題を提供しながら、ゆっくりと歩いている。私の様に人様の世話になるのはまっぴらと思う様な人でも、お金を払ってプロとして接してくれる彼女たちの存在は、老いてから自分の身体を自由に動かせなくなったとき、心底ありがたいと思うだろう。介護を必要とする家庭でも、たった一人のプロの存在が、家庭全体のストレスを軽減するのは明らかだ。だからそんなヘルパーの存在を、この香港で否定などできるはずもない。

そんな中、ある駐在員婦人と知り合った。EnglishSpeakingCountryから来た彼女は、おもむろに「貴女のところにヘルパーは居るの?」と聞いてきた。いないわよ、と言うと、しばらく間をあけて、ちょっとこれは誰かに言わないとやってられないわ、とでも言いたげにため息をつきながら、

うちのヘルパーは、母国に生まれたばかりの子供を置いて来ているのね、それで、毎日朝から晩まで子供のことを思い出すらしく、いつ見てもメソメソと泣いているのよ。でも、私に何ができるっていうの?もううんざりだから、新しいヘルパーを探しているのだけど、そう簡単に見つからないのよ。本当に、貴女の様に、ヘルパーが居ない方が楽かもしれないって思うわ。でも私にはまだ小さな子供がいるから、どうしてもヘルパーは必要だし。もうどうしていいやら、毎日、家の中が鬱々としていてイヤになるわ。

それを聞いて、私は答えた。

えー、それは大変ね。それにしても、それはちょっと問題ね。何のためにお金払ってるんだか。早くいい人が見つかるといいね。

その話を長女にしたところ、彼女は言った。

「泣いちゃダメだよね。仕事なんだから」

そうだよねーっ、見えないところで泣くのは勝手だけど、仕事場で泣くというのはプロ意識がなさすぎ。

私はそう答えた。そう、この話は「プロ意識の欠如したあるヘルパーの話」で終わるはずだった。少なくとも香港で暮らす駐在員婦人としては、話題としては面白いけど、所詮他人事だしという感じであった。

その話を聞いてから、私は下品な週刊誌を覗き込むかの様に、その「いつもメソメソと泣いているらしい」ヘルパーさんのことを気にする様になった。そして、その彼女を一目見て、私は涙が止まらなくなった。

その彼女は美しい人だった。派手ではないが毎日きちんと髪の毛を編みこみにしている。ブランドものであるはずもないが、彼女の身なりはきちんとしていた。大学も出ているだろう。結婚して子供に恵まれた。でもその子供を抱くことはできない。泣いちゃいけないことは彼女だってわかっている、でも止められない涙というものが存在することを私は忘れていた。貧しさのために、家族から離れて働くことを余儀なくされた。いま私が子供から2年はなれて海外に出稼ぎしなければならないとなった時、私は涙を見せずにいられるか。そして彼女の足元には、何の不自由もなく育つ雇い主の子供が居る。その子供を抱く自分。自分自身の子供は抱けないのに。

そして私は頭の中がぐしゃぐしゃになっていった。何をどう考えても納得できない。どういう理由で私は衣食住にたる生活ができているのか。もっと言えば、彼女たちは海外に出て働くだけのスキルがあるだけ恵まれているのかもしれない。その場から動くこともできず食事もできず死を待つだけの人も数えられないほど居るこの世の中で、ほんのほんの一握りの恵まれた状況に居る自分が、どうしてそこに至ったかの理由がわからない。いや本当は理由などないのだ。

だから私はどこに立って何を見ればいいのかがわからなくなった。私ひとりの力で世の中がどうにかなるなどと思うほど若くも青くもない。どうしていいかわからない私は、ただただ一分一秒を無駄に垂れ流すことなく全力で生き切るのだ、周りの誰にも流されず自分の価値観で必死に前を向いて生きるのだ、と毎日をがむしゃらに生きている。

ヘルパーの中には、朝からハイテンションな人がいる。傍から見れば、能天気に見えているかもしれない。私も彼女たちと一緒に能天気で、朝からハイテンションでいる。明るい彼女たちと、色々な世間話もする様になった。日中、横断歩道の対岸に彼女たちを見つけて、派手に手を振り合うことも多くなった。しかし能天気に見える彼女たちが、何の苦悩もない人達であるわけはない。いかにも人生悩んでいます、毎日毎日が辛いですという人だけが人生苦しいわけではない。いや本当は、能天気に見える彼らこそが、人生の苦悩を知り抜いていて、全てを知っていながら、どうにもならない現状を、自分自身を鼓舞しながらテンションを上げて、せめて笑って前向きに生きようとしているのだ。

そんな日々を過ごしていたある日、ヘルパーさんたちの中でひときわハイテンションの彼女が近づいてきて、

「いつも声をかけてくれてありがとう」

と私に話しかけたのだ。驚いて振り向いた彼女の顔は、いつもの能天気な表情とは違った、成熟した大人の女性の顔だった。そしてその瞬間、今まで見えていなかった風景がはっきりと見えてしまった。駐在員婦人と呼ばれる人達と、ヘルパーさん達の間には、何のコミュニケーションもなかったのだ。それはまるで厳しく守られてきた不文律でもあるかの様に、当然の風景としてそこにあった。

私は少し狼狽した。でも彼女たちは分かってくれていたのだ。彼女たちも私のハイテンションの意味を充分に理解していてくれたのだろう。

私は神など信じない。世の中のあらゆる事柄を、ある一側面から切り取って、これが真理ですと解き明かしている様に見えるが、ひとたび、その軸をずらすだけで見えるこの世の中の不条理を、何も説明できていない。私と彼女たちを隔てているものが何なのか、説明などできない。私が自分自身で努力して勝ち取った場所ではない。彼女たちが日頃の行いが悪くてヘルパーとして雇われる側に居るわけではない。雇う側と雇われる側がこの世に存在しているということを、(経済格差云々というドライな次元ではなく)誰も説明などできない。

私は神も宗教も信じない。でも、国籍も環境も全て違う私たちが、「同じ時代を必死に生きる同志」として認め合い、目と目を見合わせて笑いあったあの一瞬だけは、手ごたえを持った「信じられるもの」として私の心の中に深く残っている。神は信じていないが、「徳」というものはあると思っている。

母国に子供を残してきたという彼女は、日に日に力強く変わっていった。雇い主の子供と一緒に手に手をとって大きな声で歌をうたっていた。それはまるで自分の子供に向けるべき愛情すべてを、この目の前の子供に注いでみようと決心したようにも見えた。その歌声を背中で聞きながら、心の中で私は、がんばれがんばれ、と叫んでいた。信じてないはずの神が貴女を見ている、そう伝えたかった。明るく過ごしていれば、人生は必ず上向く。強くなればなるほど、同じ強さを持つ人の心の奥深さがわかる。

歌い終わった彼女は、その子供と目と目を見合わせて笑いあった。

あなたが笑うと、私も嬉しい。

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