教育のチカラ(I)

彼は私が今まで出会ったコドモの中でも、1、2位を争うほどのNaughty Boyだった。

末っ子の三男はメルボルンで保育園に行くことになった。その保育園に居たオージーボーイが、私がこれからお話する主人公のBくんである。

彼の悪ガキぶりは常軌を逸しており、泣く、わめく、他の子供とケンカ三昧なんてのは序の口、大きなイスを投げつける、本棚をひっくり返す、その度に保育園の先生は露骨に手を焼いているのがわかった。

見るからに頭が良さそう。大人の浅はかな考えなんて読みつくして、ありとあらゆる手を使って大人を困らせている様に見えた。それでもやはり子供だから、自分のどうしようもない感じを表現するために悪がきっぷりを発揮するしかないのだな、要するに「愛情不足ね」などと私は分かった様なことを思っていた。私が三男を連れて行くと、朝早くから保育園に預けられている彼が私のところにやって来ては、三男の嫌がることだとか、私が答えに窮するような質問をしてはニヤリとしていた。

私は彼に興味があったので、色々とカラかったりしていて、それに乗って来るのを見ていても、やはり彼は注目を集めたいのだな、ということが簡単に分かった。彼の頭は悪くない。可哀想に。このままレッテル貼られたらヤンキーになるしかないやん。どこで彼は軌道修正のチャンスを与えられるのか、それはもう不可能かもしれないなとまで私は思っていた。

そんなある日、新しい先生がやって来た。髪はお下げで、私には少し田舎っぽい普通の女の子に見えた。特に先生として素晴らしいオーラがあるとか、そういうことは何も感じず、ただただ若くてカワイイ先生がやって来たのだな、と思っていた。しかも私が迎えに行くと決まってその先生は、そのBくんに(他の先生とは違って)「○○してはいけません」と毅然と注意しているところばかりだったので、結構厳しい部分もあるんだな、などと思ったりもした。

ある日、私はいつもよりも早く迎えに行った。そして私は保育園での光景を見て驚いてしまった。その若いお下げの先生がずーっとそのBくんを抱っこしてあげていたのだ。その甘え方を見ていると、今日初めて抱っこされました、というのではなく、保育園にいる間ずーっと、彼女の手があいている時はずっとそうやってクネクネと甘えてたんじゃないかという感じだったのだ。そしてやはり、いつもよりも早く迎えに行くと、いつもいつもそうやってBくんはその先生の腕の中に居た。

それでもその先生は、そのBくんが悪いことをするとピシッと怒っているというのを何度となく私は目撃した。そして気がついたのだ。その先生の叱り方には「sigh(ため息)」がなかったのだ。

他の先生の叱り方には「ため息」があるのだ。「もういい加減にして頂戴」「またあなたなの」「enough!(もういいでしょ!)」の台詞の後にはハァーという苛立ちを隠せないため息が出てしまう。Bくんは自分に貼られたレッテルを返上する術を持たなかった。子供だもん、できるわけがない。でもそのお下げの先生は、彼に対して「あなたはいい子なのだ。だけど悪いことをしたら叱られるの。それは他の子供たちも同じ。あなたは他の子供たちと変わらず、チューしてハグしたくなるようなカワイイコドモなのよ」というメッセージを数ケ月に渡って送り続けていたのだ。

そんなある日、三男がこんなことを私に言い出した。

「Bってホントはいい子なんだよ」

「本当は」という台詞に私は少し泣けてしまった。子供だって彼に貼られたレッテルを嗅ぎ取っていた。三男自身も被害者になったことがある。それでも彼といい関係になれて、実際の彼はいい子だということをどうしても親に言いたかったのだ。

それからBくんは「あなたは先生の犬?(笑)」とこちらがツッコミを入れたくなるほど、その先生の周りに引っ付きまわっては先生のヘルプをするようになった。そして1年ほど経った頃、彼がトラブルを起こすことは皆無になったのだ。

この事実は、私にかなりの衝撃を与えた。人間こんなに変われるのか、と思う程だった。何より、一人の人間の人生を救ったといっても過言ではない。彼はそのまま「あぁ、あの子可哀想に」と思われながら、どうしようもない大人になって行ってしまう可能性だってあったのだ。それが、たった半年から1年の間に、彼は「明朗活発な健全な男の子」に大変身してしまったのだ。彼の中から全くのNaughtyさが無くなり、クラスの中でもリーダーシップを発揮する、本当にいい子になって行ったのだ。私を見ては、三男が今日こんなことをしていたとか報告してくれたりするようにもなった。三男もその子と仲良くなって大好きな友達の一人になった。彼の人生は今明るい。楽しい。きっと将来に希望を持っているだろう。何よりも自分自身を愛せる自分が嬉しいに決まっている。

あの先生の何が良かったのか。それはもう人間というものの存在に対するリスペクトに尽きるだろう。コドモとか大人とか関係なく、自分の目の前の人間に対して、絶大なるリスペクト(尊敬や大事に思う気持ち)と、強い強い信じる気持ちがあったのだろう。ただただ貴方が、そしてどんな人でも、この世にこの時代に生まれて、それは奇跡のように尊いことで、だからそれだけで十分に愛されて自分を大切にする権利がある、そしてどんな人でも、自分の足で人生を切り開く人間になれるのだという強い信念があったのだろう。

Bクンの自己肯定感に満ちた笑顔を見て、私は彼の将来を心の底から信じることができるのだ。

良き出会いを。

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