こんなところで貴女に会うなんて

香港にある某百貨店の高層階にある書店に私たちは居た。

日本の書籍が沢山置いてある、あそこである。
子供たちは各自の財布を握り締めて物色を始め、私はそんな4人の子供たちを順番に見回っていた。

そこで私の目は、ある文庫本の表紙に釘付けになった。

瞬間。

私の分身は香港の空を飛び越え遥か彼方バラナシのガンジス川の畔に飛んだ。
本当に飛んで行ってしまってから香港に居る自分自身の物理的存在についての記憶がない。

香港で
子供4人連れて
本屋に居る自分

がスコンと抜けて私はガンジス川の畔に居たのだ。

手が震えて湧き上がる熱いものを堪え切れないまま、私はただただガンジス川を眺めていた。熱いのか冷たいのか激情なのか穏やかなのかの区別もつかず、ただ私は生暖かい風に吹かれてガンジス川を流れる色々なものを見つめていた。何故かわからないけれども、ただ私は生きてるのだ、あぁとにかく良いのか悪いのかわからないのだが生きているのが事実で、あそこに流れている人には命がないのも事実なのだと、そんな言葉が脳裏をかすめただけであった。

私も行ったよ浦江飯店。このホテルの前で野宿したのだ。上海に汽車が到着したのは深夜。朝まで待てだって?ふざけんなよ、このやろー。寝袋に包まって石畳の上に寝たのだ。朝起きたら数名の上海人が私の顔を覗き込んでいたというのは、ウソみたいな本当の話。彼らがホテルの人に話をつけてくれて、私は早朝からホテルに宿泊を許された。が、身体は冷え冷えだった。

インドを目指したあの日、バンコクで私は拷問の様な時を過ごした。チャイナタウンにほど近い日本人バックパッカーの溜まり場で、私はその宿に宿泊していると言うより「棲みついてしまった」日本人のオヤジたちに連日説教されてしまった。インドだって?死にたいのか全く。君みたいな女の子が一人で行けるほど甘いところじゃないぜ。悪いことは言わないからこのまま帰れ。知ってて行くつもりなのか?バカかお前は?

逃げるようにその宿を後にして目指した先はカオサンロードのゲストハウス。ここには西洋人バックパッカーだらけで、彼らからはインドのポジティブな情報を得ることができた。いざ行かん。

サダルストリート?懐かしいね、全く。カルカッタと言えばここだよな。バックパッカーの聖地とも言うべきインドに、今私は立っているのだ!

そして。
私は何故この宿を選んだのかについての記憶がない。
あんなに日本人の多いバックパッカーズに嫌気がさしていたのに。
あぁきっと、ガンガーの近くに行きたかったんだな、私は。
そして私はそこに居た。

クミコハウス

こんなところで貴女に会えるなんて思っても見ませんでした。えぇ、今ではすっかりトウの立ったオバサンなんですけどね、これでも昔はイッパシのバックパッカーで、貴女のところにも泊めて頂いたことがありまして、その節は大変お世話になりました。夜歩き厳禁でしたよね。日本食頂きました、不思議な気持ちがしました。張り紙の数々、さすがに私をかなりビビらせました。いえいえ実はあの後デリーで、人生始まって以来という激痛に襲われて、あの時は一瞬「死」というものが身近に感じられたのですけれども、こんな所で死んでたまるかという一念でドミトリー中の人間を叩き起こして大騒ぎしたことがありまして、ネパールに良い病院があるというのを聞きつけてカトマンドゥまで行ったのですが、その時には既にすっかり治ってしまって、結局病院にも行かず仕舞いでした。あの張り紙が私に歯止めをかけたのだと今でも感謝致しております。

そして誰かが私の服を引っ張る。
バクシーシ?

振り返った瞬間、私は全てを悟った。

「ママちゃん、これ買っていい?」三男が私を見上げて小首を傾げる。手垢も砂埃も臭いも何もない世界でコギレイな格好をした子供が無邪気に話しかける。

私は既にもうバックパッカーでないのだ。
私の旅は5分で終わった。ノスタルジーに浸るのは性分じゃない。私はリアルに生きるのだ、夢の続きなんて見ている暇などないのに。

子供の手を引いている自分が何故だか信じられない気持ちがした。
あの時、あの場所で、私は本当にあの風に吹かれていたのに。

この感情の持って行き場がなくて、書きなぐってしまった。

クミコハウス」新潮文庫 素樹文生(著)

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