Let’s Get Together Now

4年ほど前、韓日共同開催に日本が浮き足立っていた頃だった。

当時川淵チェアマンが韓国のことを知る必要があると判断して、韓国の歴史教科書を日本語に翻訳してもらっているという話を聞いたりしていて、何となく日韓をとりまく風が変わってきているのを肌で感じはじめていた。

ソウルで生活していた2年半、いやそれ以前に一人で韓国を旅した時に肌で感じた日韓間のどうにもならない溝の様なものが、少しずつ変化をしているのかもというちょっとした期待もあった。

35歳の時、三男の出産日の一週間前に運転免許を取得。早速義父から譲り受けたセダンを乗り回し、チャイルドシート義務化に伴い8人乗りの中古車に乗りかえた。車の中で音楽を聴く機会も増え、ダンナが買ってくれた一枚のCDを聴きながらドライブをしていた時のことだった。

突然目から溢れた涙を、私はどうすることもできなかった。

それはもう自分ではコントロールしようのない程の量の涙で、運転中なのに目の前が全く見えない。状況を察知したダンナは何も言わずに運転を変わってくれて、それからそのまま近所の道路をグルグルグルグルとあてもなくドライブしてくれた。その間、後部座席にいた4人の子供たちは、私の身の上に起こった大きな変化に気づくこともなく、いつもと同じように大騒ぎしていた。

その曲が、そう「Let’s Get Together Now」。Chemistryと韓国の歌手による韓日共同開催のFIFAワールドカップの公式ソングだった。

私の涙の理由はこうだ。ほんの十数年前、私が韓国を訪れた時の日韓関係は違っていた。韓国での光景、屋台で韓国の人に突然殴られたという日本人の話、「日本人は極悪非道」と教えられて育った韓国の男の子が私を見て泣き崩れたこと。もうどんなに私たちが努力しようとも、歴史の壁は厚かった。そんなに簡単に崩せるわけがなかった。なのに。

山が動きはじめた、そう感じた。

崩せるわけがない壁が、崩れるかも知れないと思った。ベルリンの壁のように。

子育てで疲労困憊だったはずの私が、「日韓関係が好転するかもしれない、それも政治の力ではなく」という壮大なテーマを前にして、感動のあまり手が心が魂全てがワナワナと震えて涙が出てとまらなくなった。

泣けることがこんなに嬉しいなんて。

しかし、その後、私は自分自身のあることに気がついて愕然としてしまった。

その日以前の数年間、私は一度も泣いたことがなかったのだ。その涙はその間、数年間流すべき量に匹敵したのかもしれない。

そういえば、お腹の底から笑ったりもしてなかったかもしれない。

私はもともと涙もろい方だったが、ある日ダンナがスポーツドキュメンタリーをテレビで見て感動の涙を流しているのを、洗濯物を畳みながら横目で見ては、

これのどこが泣けるねん、さっぱりわからへん。

と思ったことを覚えている。

感動するダンナは、まるで違う星に住む住人の様に遠い存在に思えた。ぜんぜん感動しない私がおかしいのか、泣くダンナが異常なのかもわからない。いやとにかく私はこの洗濯物の処理に忙しいのだ、この後には洗い物も残っているし、と思っていた。子供が寝てからの時間は、とにかくたまった家事をこなす。料理はオンブしながら、外に出れば自転車4人乗り、そして子供たちはトラブルばかり起こす。

病院で緊急手術なんてこともあった。「おたくの娘さんが、今交通事故に遭いました」という電話を臨月に受けたこともある。ドンと目の前で遊具から落ちたわが子が血まみれだったこともあった。その度に、私は何があっても泣かないのだ、他の子供たちを不安な気持ちにさせてはいけない、と歯を食いしばって目を血走らせて、私は世界で一番強い女だと自分を鼓舞しつつ病院に走った。

後ろオンブに片手前抱っこ、右手でもう一人の手をひく、なんてこともしょっちゅうだった。オンブの時に髪の毛をどれほど抜かれようが、どうすることもできない。かんしゃくを起こした子供が固い靴底で私のスネを蹴り上げる。一人を見ていると、もう一人が私に噛み付く。一人泣き出すと皆泣き出す。ケンカが絶えない。妊娠中での4人乗りで傾きかけた自転車を必死で立て直そうとする。自転車で傷つき血を流す足、力尽きて倒れこみそうになるのを気力だけで支えた。傷のない日などなかった。

でも本当は、そんな事など大したことではなかった。体がどんなに傷つこうと、どんな傷でもいつかは治る。もう痛いという感覚さえもなかったと思う。

それでも、そんな強い私でも耐え切れそうにもないことがあった。

それは周りの冷たい視線、である。

もともと人の視線一つで心の動きを察してしまうほどの敏感な感受性を持っていた私が、周りの人の視線を無視できるはずがない。公共の場所で騒ぐ、泣きわめく、ひっくり返る、わがままを言う。その度に感じる社会からの視線。年配のご婦人の目は「私の時代だったら引っ叩いてでも黙らせた」と語り、疲れたサラリーマンの目は「もう勘弁してくれよ、今度やったらぶん殴るぞ」と訴えているように思えた。若いヤンキーの兄ちゃんの目は「面倒見れないなら4人も生むなよ」とブチブチ言っているように見えた。

ごめんなさい。本当にごめんなさい。皆さんに迷惑をかけてごめんなさい。

土下座して謝りたかった。

どんな理由があろうとも、貴方たちに不愉快な思いをさせた原因は、私たち家族にある。そのまま嫌な気分を家庭に持って帰らないように、ここで溜飲を下げてください。土下座して収まるなら、いくらでもします。そう思っていた。

実家に帰った時に、「私の人生謝ってばっかりよ」という話をしたら、笑いながら父が、

「謝ったら済むんやろ?それが貴女の仕事、謝っとったらええんや」

と言ってくれた。そこで私のスイッチがカチッと入った。

父の言葉は、私の育て方が悪くてそうなったんじゃない。男の子とは元来そういうもので、母親はいつの時代もそうやって泣かされている。だけどそうやって子供は育つ。だから子供が小さいうちは、もう理屈抜きでその場を収拾して子供を守らないといけない。

そう言われた様な気がした。子供の悪行が私のせいではないとお墨付きをもらった様で、心がぐっと軽くなった。それからの私は、プロの謝り士の様に徹底して、子供が起こす騒動を収拾していった。

自分では大丈夫だと思っていた。そうやって収拾することに快感すら感じていると自分では思っていた。泣くわけないやん。私強いもん。誰が何といっても、世界中を敵にまわしても、たった一人で孤立したって、子供を守るのだ。この子たちには私しかいない。

だけど本来デリケートな私の精神が、持つはずがなかった。

でも人間というのはすごい。自分で自分を守ることができるのだ。そう、私は自分の敏感な感受性を完全に封印することで、自分自身が傷つくことから自分を守り、悪夢の数年間を何事もなく通り過ぎることを可能にしたのだ。

感受性に封印。ドキュメンタリーに泣けるわけがない。

今思えば、あの時代はノイローゼだったのかもしれない。

車を買って、公共の交通機関で他人に迷惑をかける機会が格段に減った。車の中では大声で歌を歌いながら、オヤツをほおばっていても誰のおとがめも受けない。子供たちも私も自由だ、自由だ、自由なのだ!

本人の気づかぬうちに、私の心の封印が徐々に解けて行ったのだろうか。自分の身の上におこった嬉しいことでもなく、目の前の感動的な場面ではなく、何故だが壮大な外交関係というテーマを前に、泣ける自分が嬉しかった。あぁ誰に感謝をしよう、まず黙ってドライブしてくれたダンナに、いつでも元気イッパイの子供たちに、いつでも子供たちの応援団でいてくれた、義父母や実父母や兄や親戚の皆に、そして子供たちのお友達のママさんパパさん達に、学校や幼稚園の先生に、ご近所さん、スーパーのおばちゃんたち、みんなみんなにありがとうと言おう。私はもう大丈夫ですと言おう。

私に人間らしい感情が戻ってから半年後、私たちはオーストラリアに居た。相変わらずいつでも頭を下げるぞという意気込みでいた私は、そこで日本とは全く違う価値観と出会った。その度に胸がじんとして、鼻の奥がつーんとしてきて、所構わずボロボロと泣きたい心境にもなった。子供がひっくり返ろうとも、泣き叫ぼうとも、大騒ぎしようとも、人々の目尻は下がりっぱなしだった。いつでも優しそうに目を細めて、貴女の子供たちは何とかわいいのかと目で訴えてくれて、言葉をかけてくれて、子供たちの頭をなでてくれた。

オーストラリアに行ってわかったことがある。

自分を充分に認めてもらえたり、優しくされたりすると、他の人にも優しくできる。だけど、自分が何らかの理由で窮屈な感じを持っていたり、常に我慢に我慢を重ねている状態だとしたら。

目の前にいるわがまま放題の子供に、寛容になれるはずがない。

日本で頭を下げ続けていたあの時。私の心の中に、冷たい視線を送る人達に対して批判の気持ちがなかったと言えばウソになる。私が逆の立場なら、そんな視線は送らないで助け船を出してあげるのに、と思っていた。だけど、そうせざるを得ない心境にある人達のことを想像すると、他人に優しくしろというのは余りにも酷であるということがよくわかったのだ。原因はその人のキャパシティが狭いわけではなく、日本の社会全体が、彼らのキャパシティ容量限界ギリギリまで耐えることを強いているためなのかも、そう思ようになった。

大人が幸せでない世界で、子供だけ幸せになれるわけがない。

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