Identity – IV

もうかれこれ10年以上も前の話をしてみる。

ソウルで韓国語を学ぶ学生だった時のことである。そこは韓国語を勉強するにはメッカの様なところで、そこには在日韓国人2世、3世の人たちも多く居た。彼ら、在日僑胞(재일 교포)たちの多くは、その語学学校に来るまでに色々な葛藤を抱えていただろうということが理解できた。きっかけは、多分日本での就学や就労のタイミングなのだろう。歴史的背景を一から説明する必要はないだろう。彼らはその時、日本人なのか、韓国人なのか、自分は何なのかという葛藤を抱えてしまう。結論を出すには、自分のルーツを探らねば。そう言ってやってきた友人を沢山知っている。彼らのほとんどは、自分探しの途中で、韓国に居る間に結論が出るのかどうかもわからない、そういう不安を抱えながらも苦しんでいた。日本の近代史を恨んでみても、私にはどうすることもできない。

しかし、全く違う考え方をする人たちも居た。それが、在美僑胞(재미교포)、在米コリアンの若者達である。彼らのほとんどが、自分が何人であるか?というアイデンティティの崩壊を全く経験しない。彼らの言葉は明瞭だ。

「俺の中にはコリアンの血が流れている」

韓国語を習いに来ている彼らは、韓国語が母国語ではない。でも彼らは100%自分は韓国人であると迷いもなく答える。

日韓の歴史をここで語るつもりはない。あまりにもトピックが大きすぎて私には手が出ない。

ただ言えるのは、アイデンティティと言語は関係ないかもしれないということだ。じゃぁ、言葉もできずに自分は韓国人だと主張する彼らのアイデンティティはどうやって育まれたのか。何かにおいて一貫したものがあったのだと思う。そのキーファクターにおいて一貫したものがあれば、アイデンティティの崩壊を招かないのだろうと思う。それは確固たる帰属(所属)集団なのかな、とも思う。

ニューヨークに長く住んだインド人の知人が言っていた。ニューヨークが大好き、眠らない街。でもね、民族のコミュニティはそれぞれ分離されているのよ。香港の方がミックスしていて楽しいわ。

在米コリアンの彼らは、韓国人コミュニティの中で多くの時間を過ごしていたのかも。今となっては確認をとる術もない。

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