子育てを科学する – II

さてここで私の個人的チャレンジである。

私自身の暗黙知を形式知に変換してみる。

4人の子供をどうやって公平に扱うか、ということを取り上げてみる。「公平という概念を教授する」のではない。目的は「公平に扱われているという想いを、4人の子供それぞれに抱かせること」である。

さて子供たちがケーキを4人に分ける、という状況を考えてみる。

同じ大きさで4等分することが公平なのか(6歳から13歳までいる)。
大きさを変えるのであれば、どのように変えるのか(年齢による増分比はどうやって算出するのか?)。

実はこれ、我が家の場合は4等分で、末っ子が残す場合などは、それを他の3人がじゃんけんで勝者を決めて、その勝者が残りを獲得する、みたいな感じである。

これは当エントリーの本題ではない。
彼らが常に「親によって公平に扱われている」という想いを抱いている場合、あまり物質的な部分で揉め事は起こらない。不満を抱えていると、その不満が物質的なものへの欲求に反映されたりしてしまう。だからこの物質的なものの分配手法というのは、あまり考える必要はない。子育ての本質ではないのだ。おまけに親が介入せずとも、子供たちの間で解決できる範囲の問題である。

「子供自身の中での公平に扱われているという想い」は、「親側が公平に扱っているという想い」とは全く何ら因果関係、相関関係がない。また物理的な因子としての時間など(例えば、それぞれの子供に同じだけの時間接する、ということなど)も、実は全く関係がない。1時間話し続けても「ママちゃん何も聞いてくれてない」と思う子もいれば、一日一言二言しか話していなくても「自分のことを理解してくれている」と満足する子もいる。かくも子育ては難しいことなのである。

今度は「公平に扱われているという想い」の本質に迫る。「公平に扱われている想い」というのは、要するに「親に対して不満を言う必要がない」状態であるとも言える。実は「公平さ」が大事なのではなくて、他の子供に対して「公平でない(ずるい)」を発する時の心理状態は、「不満」が存在している。

つまり、こうなる。

「公平に扱われて、兄弟平等に育ててもらった」と思うに至るには、育って来る年月の中に「不満」を残さないことではないかというのが私の得た結論である。

次にどうやって「不満を残さないようにするか」である。

そこで私は自分自身のことを考えてみた。
ダンナに対して「満足」「自分は大事にされている」と感じる時はどんな時か、数日間考え続けてみた。

-仕事で忙しい時に横からちょっかいを出されて好き好きと連発されても鬱陶しいだけである。

-私が怒っている時に自分の立場が悪くなるのを避けるために神妙に謝られても保身にまわっているだけだと思う。

-今日あったおもしろい事をダンナに話したら、顔も向けずに返事もしない。思わず「ねー」と大声を出しつつ話を続けていたら、「ふーん」の一言で片付けられてしまった時などは、もう絶対に私のこと愛してないのねっ、と確信してしまう。

-テレビを見ているダンナにお茶を淹れたら、私の顔を見ながら「おっ、気がきくねー、ありがとう!」と言ってもらったりすると、かなりポイントが高い。

-PCに向かっているダンナに話しかけたら、「ほい、なになに」とこちら側を向き、私の話を興味深そうに聞いてくれて、時々ツボにきちんと爆笑したりすると、もうバッチリである。

でね、これで私は膝をポンと叩いた。

ビジネスと同じである。
子供は顧客である。
顧客の満足度を高めるには、顧客の要求に応えることである。
顧客の要求とは何か。

欲しいものを、欲しいときに、こちらが望む方法で(適正な価格で)。

先に述べたように、子供の本当の欲求というのは、実は物質的なものは後手に来る。精神的な満足が第一義なのである。しからば、子供の精神的な満足を得るために、親がすべきことの一番は何か?

いくよ、結論言うよーっ。

子供から話かけてきた時(その瞬間に)、とにかく何をしていてもその子の顔を見ながら全身全霊をその子に傾けてその話を聞く。そしてその子の要求を聞く。

これだけである。実は。
これだけで、子供はコロッといっちゃう(笑)。

その要求というのは、実はものすごく簡単なことだったりする。

高いところにあるものをとってだとか、宿題教えてだとか、私の話を聞いてだとか、工具を使いたいだとか。

それをその瞬間にエプロンで手をふきふき、ハイハイ、わかりました。これね、これでいいかしら、そう、面白いね、なんて頭をなでつつ言うこと聞き続けた暁にゃー、もう子供たちは私の犬も同然(笑)。当然、兄弟間の関係も良くなる。それぞれに不満がないからね。

親側からは、逆に全く働きかける必要がない。鬱陶しがられるだけである。

難しいのは、その実践である。
理論はいい。しかし、これを実践するのが結構難しい。ついつい「後でね」と言ったり、「えーっ」と拒否したり、生返事をしてしまったり。

ということで、暗黙知を明文化したところで、その情報を100%活用(共有)できるかというのは、また別の課題であり、やはり知識管理というものはかくも難しいものなのであーる。

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