self-educated person

ユダヤ人の商売に対する考え方は、大阪人のそれと近いと感じることがある。

彼らの生活習慣というのは、私達日本人とはかけ離れているのだが、モノの考え方には学ぶべきものが多くあると思う。

彼らの教育に対する考え方も、私にはとてもしっくり来るのである。

「本当の教育は、独立独学する姿勢と、一人で問題解決できる能力の獲得にある」(ユダヤ最強の成功ノート手島佑郎著イースト・プレス)

これ以上端的に教育の目的を表現した一文を、私は他に見たことがない。この本の中には、「困ったことがあるとすぐに他人に教えを請う人は、独学の人に勝てない」というフレーズも出てくる。知識の詰め込みには何の意味もなく、独学し実践する中で、真に問題解決する力を獲得することができるとこの本は説いている。

「知識管理」の中では、くどいほどに「データ」「情報」「知識」「知恵」を明確に分ける。有機的な連鎖を含み、内面化されたものを「知識」と呼ぶのだが、日本で言われている「知識偏重」というのは、厳密には「情報偏重」としか言えないだろう。「知識」とは、自分の経験を通して、情報と情報をリンクして、新たに自分自身で意味を持たせたものであるため、それが内面に備わっているというのであれば、それは素晴らしいことである。

意味のある「学び」とは、「能動的アクション」を伴って初めて「知識」として獲得することができるのだろうと思う。モチベーションのない受容スタイルの「学び」は、多分時間の無駄なのではないかと思う。

では、ユダヤ人的な思考が現代においてベストなのであらうか、というと別のベクトルも存在する。

ここ数年「日本人とは何か」という問いに対する答えとして、鈴木大拙氏の本を時々読んだりするのだが、この中に「ユダヤ人の霊性は低い云々」という表現を見つけたことがあった(具体的にどの本かわからないですっ)。要するに彼らは頭で考えて理解しようとする、だけど禅というのはそういうものではないと、そういった類の話だったと思う。

まだまだ答えはでない私である。

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