人間の魅力

我がアパートのお向かいにはホテルがある。
そのホテルの前にバス停がある。

バス停に行くため対岸へと渡っていた私の目に、一人の女性の姿が映った。
背は低いのだけど、とても魅力的な女性で、私はひと目見て「わー素敵なヒト」と思いつつ、彼女から少し離れたところに立ってバスを待った。いつもの様にMP3プレーヤーをカバンから取り出して曲を選んでいた。

彼女の後ろ姿をちらりと見つつ、視線は彼女の足元へと行った。綿の靴下にサンダルという姿に瞬間的に香港の人ではないのかも、と感じ取った。

その彼女が突然クルリと振り返って私を直視した。
その顔はどんどんと私に近づき、明らかに私の方に向かっている。
彼女の視線はずっと私の目を見続けて、私と彼女は一瞬目と目を見合わせていたのだけれど、その素敵な女性が私に何を言いに来たのかと、少し身構えてしまった。

彼女は言った。

「あの、コーズウェイベイに行きたいんですけど」

そこで彼女は一息おいて、また私の目を覗き込みながら言った。

「いくら、かかりますか?」

私はその意外な質問に、心の中で一人カクンとボケつつ、

「そうねー、コーズウェイベイに行くバスはねー」

などとバスの路線図を見ながら価格を確認した。

そのバス停はホテル前にあり、○○に行くには何番バスに乗ればよいのか、という質問をしょっちゅう受ける。だから、何番バスに乗るのか?という質問に対しては用意があったのだが、常にオクトパスカードをかざすだけで料金にはあまり関心のなかった私に、いくらと聞かれてもねぇ。

あわてて確認している間に、コーズウェイベイ経由のバスがやってきた。私は金鐘で下りるのだけど一緒に乗ろうということで、とりあえず彼女をエスコートしつつ乗り込む。

私はさっきの彼女の質問に答えなきゃと思い、料金を確認して彼女に告げた。
彼女は手に5ドル二枚と50セント1枚を握り締めていた。

6ドル50セントだから、あー、ここおつりでないからどうしよう。

そう言うと彼女は、5ドル崩れませんか?と聞いてきたので、私は自分のお財布をゴソゴソ見てみると2ドル1枚と1ドル1枚しかなかったのだ。

私は彼女に、これ使って下さい、と言って1ドルを渡して支払いを終えた。

しばらくその彼女と話をしてみた。

彼女は東南アジアの某国で某グローバルバンクに勤めているらしい。今回は香港でトレーニングがあるということで来ているらしい。彼女は私に続けざまに質問してきた。帰りも同じバスに乗ったら同じ場所に帰れるのか、と。

うーん。同じ場所には戻ってこない。SOHO近くに戻って来る(といっても彼女はSOHOを知らない様だった)、でもそこから歩かなきゃいけないしね。

どうしたら帰りのバスの道順を狭いバスの中で教えてあげられるのか、私は少し困ってしまった。でも彼女は某グローバルバンク勤務のキャリアウーマン。私は「あっ」と思った。

コーズウェイベイからあのホテルまでだったら、タクシー乗った方が早くて確実よ。英語通じるから大丈夫よ。

そう元気一杯答えた私に、彼女は少し恥ずかしそうに答えた。

「あの、今日は仕事は休みで、コーズウェイベイにショッピングに行く予定なんです。だから、できればバスの方が」

そっかー。オッケーそれなら、帰りにバス停で他の人に聞いてみた方が良いかも。私もう降りなきゃいけないし。

バスはすでに金鐘に近づいていた。彼女はあわてて私に最後の質問を投げかけた。

「あ、あの。コーズウェイベイに着いたっていうのは、どうしたらわかるのかしら?」

私は色々と説明を試みたが既にバスが停まり、私は急いで下りなければならなかった。叫ぶように彼女に行った。

「とにかく、沢山人が降りるところ。パスのほとんどの人が降りるところで降りて!とにかくバイ!」

彼女は私が降りる間際まで全身で「本当にありがとうございました」という気持ちを表現してくれた。

MTRの中でも彼女のことが気になって、ちょっと名前でも聞いておけば良かった、すっごく素敵な瞳をした人だったな、ここ香港では見たことがない雰囲気を持っていたな、などと思いめぐらせた。ああ、彼女の国に行けば、あんな素敵な人たちが沢山いるのかも。

大学の授業が終わって自宅に戻り、一人ネットで彼女の国の平均月収を調べて絶句してしまった。彼女は外資系企業に勤めるバンカーであるため、平均よりは遥かに高い賃金をもらっているだろうが、それでも、やはり香港と同じレベルであるはずもないだろう。タクシーなんて会社払いでなければ乗ろうとも思わないだろう。バスの料金が気になるのも当然だ。

想像力の欠如。というか、何という先入観。香港のバス料金が激安だと思えるのは、一部先進国出身の人間だけだ。なんで私はあの時笑ってしまったのだろう。

お金の量で人間生活の便利さは計れるかもしれないが、徳の高低など計れない。

それに彼女は例えようもなく美しく輝いていた。
彼女の美しさが、私の外見だけでなく内面までもの醜さを浮き上がらせた様であった。

私は魂をどこかに売り渡してしまったのか。
もう私は、あの彼女の様な瞳を持つことはできないのか。

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