Pieces of a Dream

私は「被害者の母」にも「加害者の母」にも、「被害者と加害者の母」にも、

なったことがある。

長男は昔からトラブルばかり起こし、その度に私は頭を下げて回っていたが、その時ばかりは頭を下げて済むような問題ではなかった。

長男が3歳くらいの頃だったと思う。
長女の通う幼稚園で1メートルほどに高く積み上げられたマットの上に乗っていた長男は、目の前にいた女の子を突然、

突き落としてしまった。

その女の子は、私の身体が凍り付いて何もできない間に、頭のてっぺんからまっ逆さまにスローモーションの様に落ちていった。ヨチヨチ歩きの次男に気をとられていたスキの出来事だった。私とその女の子のママさんは元々友達で、その瞬間、一番現場に近かった共通の友達である某ママがその女の子を抱き上げた。そして同時に、長男をキッと睨みつけた。私はそのすべてを目撃した。

何も言えるわけがない。

私は目の前が真っ白になりながらも、逃げるわけにはいかない、必死でその女の子と抱きかかえた友人の側に駆け寄り、とにかく病院に連れていこう、うちの長男がやったことだ、考え付くお詫びの言葉の限りを必死で口から吐いていたが、そんな言葉など誰の心も溶かすわけなどなかった。

騒ぎに気づいたその女の子のママさんがやってきて、大泣きのその女の子を抱きかかえながら落ち着いた口調で私にこう言った。

「泣いてるから大丈夫よ。心配しないで。よくあるのよこういうことは。」

そのママさんには長女と同い年の男の子がもう一人居て、私はその上の男の子を見ておくから、タクシーで病院に行って、診察代を全てお支払いするからお願い、と言ったのだが、彼女はその女の子が泣き止んで落ち着いてきているのを確認した上で、しばらく家で様子を見て、必要であれば病院に行きます、と言った。

家に着いても心配で心配で仕方がない。夕方まで待っても彼女からの連絡はなかった。私はいたたまれなくなって彼女の家に電話をかけたら、「落ち着いているし、特に吐いたりもしてないから大丈夫。本当によくあることなんだから心配しないで。病院に行くほどじゃないのよ」と彼女は言ってくれたのだが、こういうアクシデントは後から後遺症が出たりする。私は近所で手土産を購入して長男を連れて彼女の家に押しかけた。

私が頭を下げる横で、長男も小さな頭を下げた。

彼女は言った。

「本当に大丈夫なんだって。それよりも私は、貴女の方がかわいそう。うちにも男の子がいるから貴女の気持ちがよくわかる。男の子ってそういうことあるもん。うちのお兄ちゃんだって、今まで本当に色々とあったのよ。でもここまで来てくれた貴女の気持ちもよくわかる、だからこれは頂いておきます。それから必要があれば、ちゃんと病院も行きます、そしてその時は必ず貴女に連絡します。だから、

もう心配しないで」

そういってこれ以上ないほどの優しい笑顔を私と長男に向けてくれた。長男の目線にまで身体を屈めて、「わざわざ来てくれてありがとね」と満面の笑みを湛えながら長男の頭を撫でてくれた。

彼女はそれ以降も以前と変わらず私の大事な友人で居てくれた。

彼女はとても優しくて素敵なママであったが、自分の弱みを人に見せることなどなく、常に自分で全てを解決するようなタイプだった。そんな彼女がある日、私を呼び止めていきなりこんな話を始めた。

「あのね、○○に行くとね、私すっごく疲れちゃうの。ね、どうしてだと思う?」

○○というのは、当時私たちの間では一種キーワードであったある教育メソッドを実践している会で、そこに子供を連れていくと、何故か親である彼女がどっぷりと疲れてしまうというのだ。

本音を言えば、「やめちゃえ、やめちゃえ」と軽く言いたいところだったのだが、彼女が色々と考えて通うことを決めたのだから、それを否定することなど言いたくなかった。私はあれやこれやと気の効いたことを言おうと考えたのだが、中々うまい言葉が見つからず、うーん、とうなっている間に、他のママさんが会話に加わり、その話はうやむやになってしまった。

家に帰ってから、

「普段使っていない神経を使っているから疲れたんじゃない?それって悪いことじゃないよね」

という返答を自分なりに思いついた。次回、その話が出たら絶対に言おうと思っていたが、それ以降その話題が出ることはなかった。

私は何故かその答えを彼女に返せなかったことをいつまでも覚えていて、何故か将来ひどく後悔するのだなと思い続けていた。何故そう思ったかの理由は、それから何年もたってからわかった。

彼女が亡くなったという知らせを受けたのは、オーストラリアに行ってからのことだった。それは彼女自身不治の病に冒されていて余命を宣告された矢先に、突然彼女のご主人を亡くしたという知らせを受けてから約一年くらいたった時のことだった。そしてこの1年は、子供たちと充実した素晴らしい時間を送ったのと伝えてくれたのも、うちの長男が突き落とした彼女の娘さんを抱きかかえてくれたママさんだった。

自分の愛する子供を突き落とした憎い加害者の親を
責めるどころか、相手の気持ちを思いやっていたわってくれた彼女。

幸せな夫婦、幸せなファミリーの典型みたいだった彼女とそのご主人が、どうしてそんなに早く死なねばならなかったかの理由がわからない。

神様に選ばれたのか?

そんなことも脳裏をかすめた。

だけど納得できるはずがない。どうして自分よりも人を思いやる様な人が死んでしまって、社会に迷惑ばかりかけている私がピンピンと生きていて、どこに神様が居るのだ。それならば私が死んで、彼女が生きた方がすっと世の中のためになったのじゃないか。

私はずっとそのことを考え続けて、それでも答えが出なかった。答えなんて出るわけがないと思っていた。

でも、ある日突然、私にその答えが見えた。

彼女はやっぱり選ばれたのだ。

もし仮に、周りに迷惑をかけ、悪事の限りをつくした人が短命で亡くなっても、「罰が当たった」くらいにしか思われない。それは周りに何のメッセージも与えない。でも彼女は違った。彼女の周りにいた全ての人、彼女を知る全ての人が、彼女の死について考えざるを得ない状況に追い込まれた。

彼女が何故若くして死ななければならなかったのか。
そして何故、私は生きているのか。

彼女が生きていれば与えられたであろう、社会や周りの人間へのポジティブな影響を、生かされた自分が忘れてはいけないのだ。彼女が素晴らしい人間であればある程、残された人間へ与える思いは深く重い。現に私はそれから何年も経つにもかかわらず、何故かこの歌を聴くたびに彼女のことを思い出してしまう。そしてその度に自分の生き方を振り返るのだ。時々死にたいくらい辛いこともあって、でもそんな時にこそ彼女が時々私の脳裏に蘇り、生きていた時には見せたこともなかったすごい形相で私を叱り付けて叫び、私に掌をつきつけるのだ。

「その命、私に頂戴。貴女なんかよりもずっと立派に生き切ってあげるから。命の限り全力で生きるから。」

幼い子供二人を残して死ななければならなかった彼女の気持ちを100%理解できるわけがない。でも彼女の気迫が私を正気に戻す。その度に命の限り全力で生きるのだ、と決意を新たにする。

ポケットの中にある、彼女に言いかけた言葉に触れてしまうことがある。
その度に思い出す。

その度に、彼女が私の脳裏に蘇り、叱咤するのだ。そして私は彼女に誓う。

全力で生きるのだと。

ほどなく彼女の表情がほころぶ。いつもの様に、毅然としているけど少し色っぽい声で、彼女は言うのだ。

「でも、それが人生の醍醐味、でしょ?」

肩にめいっぱい力の入った私に、彼女はもう1つのメッセージも託す。

「楽しんで」

Peices of a dream – Chemistry

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