He wanted to die a Natural Death and made it.

実は、私、出世したかったんだ、パパさんよりもね。

そう言うと父は「こいつおもろいこと言い出すやんか」と言いたげにニヤッと笑った。

私はやりかけの仕事を持ち込み、暗い病室の中でPCのキーボードをカチカチと叩いていた。慢性寝不足の私は深夜3時半に仕事を納めてから、床にスノーピークの寝袋を敷いて横になった。爆睡中の私の腕を父が叩いた。ハッと飛び起きた私に父は「おい、水とってくれ。冷たい水。悪いな」と言った。

私はこんな状況でも爆睡できる自分の軽さが恨めしかったが、そんな私を見て父は笑った。「お兄ちゃん(私の兄)はワシが寝返りをうっただけでも目を覚ますから悪いなと思うて。お前は気遣わんでええからエエワ」などと言った。

私は慌てて冷蔵庫から冷たい水を取り出し父の口に運んだ。

その日が近いことは、家族だけではなく本人も知っていた。会いたい親戚全員を病院に呼び、話したいことを全て話し、託したいことをきちんと託していた。その時の父は絶好調で口も滑らかであり、もしや危ないのではないかと心配した親戚全員を思いっきり安堵させたほどだ。

私も父とこんなに長いこと話したことないな、というほど語り合った夜を4晩過ごした。今まで聞いたことのなかった昔の話をしてくれた。彼の亡くなった父親のこと、継父のこと、悲しい淋しい子供時代のこと、仕事をしていたこと、妻であった母のこと、そして自分の人生は色々あったけど、まぁいい人生なんじゃないかと思う。感謝している、こんなありがたいことはないと言った。子供たちが折ってくれた千羽鶴に手をやっては、「力になってます。ホンマに有難いと思うてます」などと涙を流すこともあった。

日本へ向けて発つ前にダンナが私に言った。「言うべきことを伝えるだけだよ。後悔のないようにな。貴方の娘で良かった、幸せだったって言えよ。」彼は彼自身の父親を6月に亡くしていて、それに付き添っていた私も同じ口惜しさを感じていた。突然に倒れて、心臓外科手術を受けて、一度も目を覚ますこともなく一ヶ月後に亡くなってしまった彼の父親のことを思えば、今の自分がどれほど幸せなところにいるのかは容易に想像できた。

そして私はそれ以上のことさえも色々と話せた。もう父に対して、これ以上素直に話せることもない、というほど色々なことを話した。

末期の癌ではあったが西洋医学を否定してはいなかったので、放射線治療、抗がん剤投与なども行っていたが、延命治療は自ら拒否していた。そして彼はそれを成就した。

言いたいことが言えて、聞きたかったことが聞けて、彼がどうして欲しいかについて事前に聞けた。病院の先生、看護士さん、そして母と兄と私で最期を看取ったのだが、涙は無かった。むしろ彼の希望を最期まで叶えるべくチーム一丸となって取り組んできたことが成就できた安堵感みたいなものさえあった。

父の顔は、生前は難波のオッサン最後の珍種みたいな豪快なオヤジだったのだが、誰よりも崇高な表情を湛えているように見えて、娘バカながら「うちの父ってもしや人徳があったんちゃうか。あの世でええセンいけそやな」と思ってしまうほどであった。

父の望むお葬式は、喪主である兄がしっかりと取り仕切り見事だった。父がおどけたポーズで「オッケー」を出しているのが見えるようだった。

叔母の時にできなかったことが、やっとできたと思えた。そう思うと、あの悲しい悲しい経験も私には必要だったのかも知れないと思える。

追記:

今年はこの本にとても助けられました。感謝します。
「エンディングノート」があれば、遺された家族の気持ちはずっと軽くなる、私はそう思います。その通りにすれば、故人はきっと納得してくれる、そう信じられるからです。

「天国への手紙」江原啓之著

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