涙そうそう

人間、意外と泣きたいときに泣けないもんで。

義父が亡くなった時は、お葬式の時こそ雰囲気で泣けてしまうところがあったが、私もダンナも結局本気で泣けていなかった。特に喪主の妻としてやるべきことが多々あり、肉親を亡くしたダンナ以上にしっかりせねばという気持ちもあり、またまたそんなことよりも残される義母のことを考えねば、という気持ちで一杯だった。

夏になり、義母が一人で生活しやすいようにと1ヶ月かけて改築や、その後の手続きに奔走したときも、唯一肉親ではない私が冷静にテキパキと動いて処理しなければならないことが山積みで、既に余命を宣告されていた実父のことも誰にも言えずに唇を噛み締めながら義母に尽くした。それについては後悔はない。

学校の欠席が続いた子供たちがガタガタし、今まで考えられなかった問題が噴出し、それでも平気な顔して一日一日息をずっと止めながら乗り越えてきた。人生すべてのマイナス面が同時期に襲い掛かってきたようだった。そんなある日、私は夢をみた。

夢の中で私が泣いていた。

その隣でもう一人の私が優しく話を聞いてあげていた。
私は「ぎゃーぎゃー」でもなく「うーうー」でもなく、そうどちらかと言えば「さめざめ」と言った風に涙をボロボロとこぼしていたのだが、それを後ろ側から見ている格好の自分が、時に泣く側に感情移入し、時には慰める側にいたり、その両方をずっと自分の中でやりとりしている様な感覚であったが、ふと目が覚めたときには、本当にさめざめと泣いて心の中の塊が溶け出た様な感覚に襲われ、それでも本当に泣いた場合はエネルギーも消耗するし、鼻水も出るわ目は真っ赤になるわ、と大変な形相になるはずなのに、夢であったためそういうこともなく、ただただマイナス点が全く見当たらない様に、うまく泣けてすっきりとしてしまった。こんな経験は初めてだった。

実父は私たちの想像したよりも早く亡くなってしまったのだが、実父についてはもう全く泣けずで(笑)、このまま一生泣かないんじゃないだろうか、と思っていた先日のことだった。

ダンナの出張中に一人で寝ていたときのことだった。

私は父が亡くなる前の看病していた数日を夢の中で追体験することとなってしまった。長い長い夢に思えた。父はベッドの上で少しずつ小さくなってきている様で、それでも目だけは私の方を見ていた。そんな数日を過ごしてとうとう亡くなる日がやってきた。実父は最期に一言

「お兄ちゃん(同居していた私の実兄)には、本当にようやってもらったと思っている。」

という言葉だけを残して亡くなった。現実には全く泣かなかった私であるが、この時ばかりは夢のなかでわんわん泣いて、わんわんわんわん泣いていて、はっと目が覚めたら目の回りがべちょべちょで、実際にもわんわん泣いてしまっていたのだ。

こんなことも初めてだった。

結局意地っ張りの私を、義父と実父があの手この手で泣かしてくれたのかしらと思ったりすると、ちょっと可笑しかったりもするのだけれど。もう当に乗り越えているはずなんだけど、「泣いていない」というのが自分でも何だかしこりの様に残っていたのは事実。考えまいとしていたのは事実。まるで他人のことのように彼らの人生を思い出したら、それはそれですぐに泣けてしまうだろうに、それをしない自分が弱いのは分かっている。

最近、「鉄のような女性」になりたくて仕方がない。
感情を抜いて、バキバキと全体最適を考えて断行できる鉄の女がいい、と本気で思う。
強いことが即ち優しさだと信じて疑わない。

もっともっと強くなりたい。

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