私の75日間も終わった…..気がする

209名の逮捕者とともに、中環(セントラル)と金鐘(アドミラルティ)の強制排除をもって、和平佔中(Occupy Central )行動は、ほぼ終焉したと言っていい。

OccupyCentral

この間。
広東語も普通語も満足に話せず、香港永久市民権をも持たない私は何も言えないムードがあり、今ここで私が香港の政治体制について何か言えることは一つもないのだな、と改めて思っている。

数年ごとに全てをリセットされてしまうドサ回り人生では、どこの国に行ってもコミットできることは限られるので、そういう人生なりの生き方を今回も模索せねばならないのだな、と思うだけだ。

オキュパイエリアがクリアアウトされ、久しぶりに馴染みの道路を走り抜けた。あぁこれでセントラルに行くのも簡単になったなと思いながら元オキュパイエリアを総ナメする感じのルートを図らずも通ってみて、突然失ったものの大きさに気づき目の前の景色が歪んだ。

あの喧騒もテントも救護物資も、人海戦術で一日ですべて片付くんだなと思ったら、その素早さがどうにもこうにも受け入れられなかった。

残されたのは簡単に剥がれなかったテープや接着部分の紙類と、道路に残ったチョーク文字や画像。これらも数回の雨でキレイに流れるだろう。

学生達は、そして若者たちや彼らを守ろうとした大人たちはすべて、全く器物を破損しなかったんだなと思うと、急に胸が傷んだ。

私自身も、この歳まで生きていると色々とトラブルに見舞われることも、自分が引き起こしてしまうこともあるのだが、それがある日突然解決すると(実際はしていないのだが、表向きには解決した様に見えると)、世の中はまるで何事もなかったかの様に元通りになるのだ。そして自分の心だけが置いてきぼりになった様な、そんな気分にさせられる。

本当は、彼らの誰も忘れてはいないのだろうが、表向きは何もなかったことにされた様な、あの時の「なかった時にされてしまった自分」を思い出して苦しくなる。私自身は既に乗り越えたとはいえ、「あの時の自分の苦しく寂しい気持ち」を、香港の若者たちの将来に対する不安な気持ちに重ねあわせてしまうと、やはり胸が苦しくなる。

IFCに駐車するために裏面に回ったところ、長蛇の車の待ち行列ができていてギョッとなった。ついこの間までは、ここまでのウェイティングはなかった。渋滞を予想して行き控えていた富裕層がこぞってIFCを目指したのかなと考えたら、急に全てが虚しくなった。その列に並ぶことすら許せない気がして、あわてて金鐘まで戻った。

彼ら富裕層は、香港においては完全な逃げ切り層だ。オキュパイ行動なんでどうだっていいだろうな。でも渋滞も元に戻ったよ。渋滞エリアが変わっただけで、大通りの渋滞に巻き込まれて思った。「あぁこれが、香港の現実だな、元に戻ったな」と。

民主化運動の根本的なところは、多分これだろうなと思うことはある。キレイ事言っても理想掲げても、結局はこれだろうなと思うことはある。

彼らが守ろうとしている現在の香港のシステムが、完璧であるわけもなく、既にさまざまな問題を含んでいる。

バックパッカーとして訪れた30年近く前の香港は、ずっと住み続けたいたいと思う程の麻薬的な魅力があったが、残念ながら今はない。

….と思うのは、私のエゴなんだな。ここでの生活を魅力的にできるのは、他ならぬ自分しかいない。
何年住めるか分からないのは毎度のことだから、ここで出来る何かを模索してテイクアクションする人生でありたい。他人から見てそれが愚かに見えようとも。知ったこっちゃないわなw

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